「、お前今日小十郎に会ったんだってな」

「小十郎?えぇと、あぁ、片倉殿ですね」



珍しく政宗がの暮らす部屋を訪れ、褥をともに――といっても添い寝だけだが――していると、急に政宗が声をかけてきた。
はいつもどおりにっこりと答えると、政宗は思案する風にそうか、と黙りこくる。
政宗が押し黙るのはいつもの事なので、は気にせず自分の髪をいじった。
いつも何もないまま夜が更けるので、政宗がいるときはいる時で互いにすることがない。
政宗はよく喋るほうではないし、どちらかが話せば相槌を打つ程度。
眠くなったがいつのまにか眠っていて、それで気づけば朝になっているというのが常だった。



「」

「はい」

「お前、何者だ?」



けれど、その日は違った。
政宗は布団の上に座ったままで、床の間に飾られた刀近くに構えている。
もちろん大仰な武装はしておらず寝巻姿なのには変わりないが、どこか雰囲気が鋭い。
共に過ごした日にちが浅いにも、政宗の変化は簡単に分かった。
わかるほど、は警戒されていた。



「…難しい質問ですわ」

「そうか?簡単な事じゃねぇか、お前は誰で、何を目的とするのか」

「わたしは、今はです。目的は特にありませんわ。奥州に来たのは北條の平和のため、ということになりますけど…」



けど?と政宗はその続きを促す。
は困ったように頬に手を当て、首を傾ける。



「わたし、別に権力争いはどうでもいいんですの。北條が沈もうが、奥州が天下を取ろうが瑣末な事ですわ。毎日を楽しく暮らせたらそれでかまいませんの。ですから目的と言われましても…」



の物言いに、政宗はHa、と嘲る。
国取りの真っただ中、そのために嫁いできたが、国などどうでもいいとぬかす。
これは無欲からくるものなのか、はたまた別のもっと大きな謀を計しているのか。

けれど実際の所、には野心も野望も目的も何もない。
ただ日々をのんべんだらりと楽しく過ごせたらそれでいいのだ。
やりたいことはこれまで生きてきた中でやってきたし、やってみたいこともやりつくした。
が今より若い頃はそれなりに野心を持ち、野望をかなえるために色々動きまわったりもしたが、時とともに落ち着き、今はただのんびりと暮らせればいいというのが本音だ。
例えば、権力者の正室となり傍若無人の限りを尽くすとか。覇者の愛人となり国を裏から操るとか。日本という国を端から端まで歩きまわるとか。他にもたくさん、百年という長い時の中でやってきたことは沢山ある。
だから、もう他にやることはないのだ。
ゆるゆると、時の流れに乗り、ただ生きるだけ。
死ぬまで、生きるだけ。

静かすぎる静寂の中、ただその深さだけが増す。



「お前の楽しみとはなんだ?」

「そうですわねぇ…。誰かとお喋りして、毬をついて、歌を詠んで、外に出て人とふれあう、そんな人と同じような些細なものですわ」



まるで尋問のようなことが、続く。



「今は、と言ったな。昔の名前は何だ」

「色々ありましたから、もう全部は覚えてません。がここ最近使われているものです。その前が汨玖、その前が昭鄙、その前が鼓久里、えぇと、ごめんなさい、それ以上前は覚えていませんわ」

「…それは、北條氏がつけ替えたのか?」

「いいえ。その時々のご主人様がそう呼んだのです。みなさん勝手に呼ぶから、もう名前がたくさんになってしまって、覚えきれませんわ」



は数えるのも億劫になるほど長い時を生きてきて、その間沢山の人の所を渡り歩いた。
の事をの名乗った名で呼ぶものもあれば、を己の所有物とし好き勝手な名前を付けるものもいた。
だから、は沢山名前を持っている。
ここ何十年かはで定着していた。
それはひとえに、がと名乗るようになって数年、それから北條氏がをとして何十年も囲っていたからである。
何十年名を呼ぶ人が変わらなければ、名も変わらない。
だから、ここ数十年はなのだ。
もちろん政宗がの事を別の名で呼んだら、その瞬間からはでなくなる。



「拾われたのか?」

「まぁ、そうなりますわね。あ、でもご安心くださいませ、氏政様はわたしを大切に思ってますし、周りもわたしを氏政様の娘と認識しておりますから北條の人質としては十分有効ですわ」

「よくわかってんじゃねぇか」

「うふふ。わたしはわたしの意思で動きません。わたしはただ、ゆるゆると過ごせればそれでよいのです」



それが、の本心だった。
面白おかしく生きるのはもう飽きた。
動くのも考えるのもめんどくさい。
思考を隅に追いやり、愚鈍に溺れ、快楽に身を任す。の生き方。

ぽふりと布団に顔を埋め、長くあでやかな黒髪を散らす。
そして布団と髪の隙間から政宗を見、いつもどおりにっこりと微笑む。



「、お前の最初の名は何だ?」

「…あら、そんなこと聞かれたの初めてですわ。そうですわね……、あら、忘れてしまいましたわ」

「忘れるほど昔の事でもないだろう」

「うふ、うふふ、それがとんでもなーく、むかーしむかしの話ですのよ」

「…What? 、お前はどう見てもまだ十にもなってねぇだろ」

「あら、あらあらあら、いけませんわ、いけませんわよ、政宗様。女性に歳を聞いてはいけませんわ」



くすくすと布団に顔を埋めて笑うを政宗はいぶかしんで、ようやく厳戒態勢を解き、に近寄った。
そっと髪をどけてやると、まだあどけなくも美しい横顔をのぞかせる。
その美しさたるもの、これまで数多くの美女を見てきたと思うが、程美しい女は初めてだ。
幼いはずなのに美しい、可愛さではなく美しさを備える幼子を見たのは、が初めてだった。
未だにこにこと笑うに、政宗の視線は自然釘付けとなる。



「でも、政宗様はわたしの夫ですもの。隠し事はいけませんわ」



はそっと起き上って、政宗に顔を近づける。
その所作に政宗の胸が高鳴ったのは言うまでもない。



「わたし、政宗様よりも氏政様よりもおばあちゃんですのよ」





2009/07/09
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