お子さま行進曲 ロジェと!



「ん?マルコどっか行くのか?」

呼びかけに振り向くとサッチが立っていた。台所にいたらしく、この間100円均一で買っていたひよこプリントの黄色いエプロンを着用している。
「あァ、ちっと本屋にな」
「そうか、じゃあついでに買い物頼めるか?メイプルシロップ切らしちまったんだ、買ってきてくれ」
「メイプルシロップ?」
「今日のおやつはホットケーキだからな」
そう言ってサッチは胸を張る。
サッチは元々料理が趣味だったが、最近よくの為にと手作りの菓子を作っている。見た目と性格に反してなかなか丁寧な仕事をするのだが、この男所帯の家で作るのに慣れきっている為か一人分の割に毎回毎回どっさり作るのだ。女で、しかも子供のの許容量を軽く超える程。
この間はボウル一杯にプリンを作っていた。大人でもきついそれをは頑張って食い尽くし、苦しそうにしながらも結局その後の夕食(うどんだった)も食いきった。腹がいっぱいで動けなくなったを運ばせられたのはおれだったっけな、と思い出して思わず渋面になる。あの時は別件で傍についていてやれず、止めるどころではなかったのが悔やまれた。
守役だから仕方ないとはいえ、頭の悪いチビの面倒をみるというのも一仕事だ。そろそろ消化剤も尽きかけている。
「急にいるものかい」
「まぁ、仕上げに使うもんだしな。そんなにせかすつもりはねェよ、帰りにちっと頼むわ」
「作りすぎんなよい、あいつはバカだからあればあるだけ食っちまうんだ」
特にホットケーキなんて重い食べ物は、食いすぎると夕飯が食えなくなる恐れがある。の頭に“残して後で食う”等ないから、『これは自分の分』と認識したが最後例え食いきれない量だろうがその場で食い尽くし、そして動けなくなる羽目に陥るのだ。全く、その根性をもっと別な所で発揮しろと言いたい。
満足に食わせて貰っていない訳でもねェのに、何であんなに食い意地が張っているんだか。嘆息しながら、おれはよろしくなーと手を振るサッチに背を向けて玄関から出たのだった。


――――――――――


休日のせいか、町の小さな本屋もそれなりに人が多い。
児童書のコーナーでに読んで聞かせる本を物色していると、雑誌類の棚の方向から濃い金色の髪をした小さな子供がトコトコ歩いてきた。と同じくらいの幼児だ。まさか一人か?と見渡すと、きょろきょろしながらこちらに寄ってきた子供の後ろから葉巻咥えた男がずかずか歩いてきて、子供が着ているパーカーのフードをぐっと掴んで引き戻す。
「ふらふら歩き回るんじゃねェよ」
「うー」
いきなり掴まれて子供はひゃっと驚きの声を上げたが、振り向くと途端に不満げな顔で唸る。どうやら親らしく、安堵と呆れの混じった様子で子供の頭をこつりと叩いた。
「だって、おやすみ前のご本買うって」
「そりゃ後でだって言っただろうが。一人でさっさと行っちまいやがって、迷子になったらどうすんだ」
「へーきだもん」
「いいからいい子にしてろ、帰りのアイスは無しにするぞ」
「ぼくはいつもいいこだよ」
仲の良さそうな親子だ。
他人から見ればおれともああ見えるのかねェ、と思いを巡らせながら適当な本を探す。親子連れは何だかんだでここの本を探す事にしたらしく、小さい子供は楽しそうに本を物色している。

「ぼくこれがいいなー」

そう言って子供が手に取った本を参考までにちらりと横目で見ると、『植物のほん』という表紙にピンクの薔薇の写真の載った本。分厚くて重そうな図鑑だ。
に読ませたらどうか。……駄目だな、多分枕にして寝る。
「お前表紙で選んだろ……図鑑なんざちゃんと読むのか?」
「もう5つだもん。むずかしいご本でもわかるもん」
「そう言うからこの間寝る前に海底2万マイル読んでやったら5秒で寝ただろ。話が始まる前に終わったぞ」
海底2万マイルは5歳児には難しいだろい。
「ねむくなっただけ!ご本がたいくつだったんじゃないもん!」
「じゃあこれから帰って読んでやろうか?」
「今日は帰ったらテレビ見るからあーとーでー」
微笑ましい親子の会話を聞きながら、絵本の棚を探す。平積みの本を眺めていると、子供が足元にちょこちょこと寄ってきた。
「ちょっとしつれい」
どうやらおれの前にある本が欲しかったらしく、すました顔でそう言って横から腕を伸ばす。手に取ったのは、『うみのいきもの』。表紙に何故かミズクラゲの写真の、子供向けの教養本らしい。
「これもかって」
「…ちゃんと自分で持てよ」
「わぁい!スモーカーすきー」
そう言うと子供は男の足に飛びついた。
……スモーカー?どっかで聞いたような。
子供の手を引いてレジに向かう後姿をしげしげ見るが、思い出せない。そういえば顔も見覚えがあるような気がするんだが。白い髪に、葉巻に…。
「ん?」
ポト、と子供のポケットから何か小さいものが零れ落ちた。拾い上げると、それは小さなチロルチョコ一粒。
「おい…お嬢ちゃん、落し物だよい」
「え?」
半ズボンを履いているし一人称が僕だったから一瞬迷ったが、ちゃんと振り向いたのでほっとする。
「あ、ぼくのおやつ!」
手の中の物を見せると、少し恥ずかしそうにこちらに駆け寄…。

「ふぇっ!?」
「!」

子供がこちらに来ようとした瞬間、男が子供の襟を掴んで止めた。
そのまま子供を背に庇う男に目を丸くするが、こちらを睨む敵意に満ちたその目を見た瞬間、脳裏に走る光景に自然と口の端がつり上がる。それは己の間抜けさ故か、あるいは。

「…今日は非番かい?警部さんよ」
「生憎な」

己にしては迂闊だった。恰好と状況が違うだけで、敵対する立場の男を見抜けないとは。この男の方は、おそらく最初から気づいていたのだろうに。
それにしても、と今度は苦笑が漏れる。男の態度はまるで番犬じみていた。
「そうピリピリすんなよい、その子がびっくりしてる」
「…スモーカー?」
「ロジェ、お前は黙ってろ」
険悪な雰囲気を察して戸惑った様に見上げてくる子供に、スモーカーは目もくれず一蹴する。
「心配するない、やりあうつもりなんざねェさ」
「わ、」
ぽいっとチロルチョコを投げると、小さな菓子は放物線を描き小さな掌に落ちた。
「今度は落とすなよい」
「う、うん。ありがとおじちゃん」
じろっと見下ろす父親の視線を気にしながら、その子はおずおずとお礼を言った。この男の子供にしては、礼儀はそれなりに躾けられてるみたいだな。
「しかしおれもこの界隈で暮らして長いが、こんな風に白昼堂々刑事と出くわす事はそうそうあるものじゃねェ。案外ここで縁が出来たかもな」
「…てめェらとの間に出来る縁なんざ碌なもんじゃねェ」
「手厳しいこって」
笑いながらそのまま背を向け、本の品定めに戻る。
しばし逡巡する気配を残し、敵意と警戒に満ちた視線は離れていった。


――――――――――


「よーお帰り」
「ほい」
台所に行って頼まれ物を放り投げると、フライパンを片手にサッチはサンキュと言ってパシッと受け止める。台所内は甘い匂いが漂い、丁度作っている所だったようだ。
「悪いな、使い走りにさせちまってよ」
「気にすんなよい、それなりに楽しい事もあったしな」
「あん?」
おれの言葉にきょとんとするサッチの横をするりとすり抜け、廊下を進むと耳に慣れたドドドドという足音。廊下をそんな勢いよく走るなって言ってるだろうにと呆れながら、廊下の角から飛び出す塊に口が緩んだ。

「マルコおかえりぃぃ!」

元気な声とどすっという衝撃と共に、満面の笑みの幼児が腹に飛び込んできた。
「おー」
「マルコー、みやげー」
身体をよじよじとよじ登ってくるが、おれが何か買ってきてくれたものと信じて疑わない様子で早速土産をねだってくる。
「ほれ」
「わーい!」
苦笑いしながら渡した紙包みをは喜んで受け取ると、ベリベリバリバリと紙を破き本を引っ張り出した。
「おー、くらげ!」
出てきた本の表紙を見ては歓声を上げた。結局あの子供と同じ本を買ってやったのだが、果たしてが気に入るかどうかは怪しかった。放り出すことも考えられたが、興味を示して本を開く様子に選択はまあまあ間違っていないようで安心する。
「おー、さかながいっぱい」
「ほら、ちゃんと座って読めよい」
ずりずりと左肩に移動してきたがそこで本を開き読もうとしたので、の部屋までそのまま歩いて行き肩のずっしりした重みを座布団の上に放り出す。小さな身体がころりと転がりちゃぶ台にぶつかるが、本を読むは気にも留めない。
「おー、モビーがいる!」
モビーというのは、応接間にあるでかい白鯨の模型“モビー・ディック”である。本を覗き込むと、確かによく似たクジラの写真があった。
まあ、楽しんでいるようなら何よりだ。一息つき、ちゃぶ台の傍に座り込む。
写真を見ながらはしゃぐを眺めていると、本屋で会った子供の姿が重なった。
確かロジェとかいったか。あの刑事の子供だとばかり思っていたが、よくよく思い出せばあの子は父親を呼び捨てにしていたし、ひょっとしたら親子ではないのかもしれない。
ひょっとしたら、おれとみたいなもんか?

「おーい、おやつのホットケーキ出来たぞ!」
「ほっとけーき!!」

おれの後ろの襖を開いてサッチが部屋に入ってくる。漂う甘い匂いに、の目がキラリ、というかギラリと輝いた。やはり知的な事よりも食い気が優先なは薄い本を放り出してちゃぶ台の前に身を乗り出す。
「サッチ!おやつをよこせ!はらへった!」
「おー腹が空いてるか!喜べ、たくさんあるぞー」
そう笑顔で言うサッチは、ちゃぶ台の上にでんっと皿を置いた。
「おおー!!すごい!ごうか!」
皿の上には、バターとメイプルシロップのたっぷりかかった5段重ねのホットケーキ。

……………。

「おい、サッチ」
「あ?なんだマルコ」
ぽんと肩に手を置くと、サッチは笑顔で振り向いた。やり遂げた顔をしていることに尚の事苛立つ。
「作りすぎんなって言ってんだろうがぁぁぁ!」
「ぶっふぁ!」

「むぐむぐ、うまひ」


――――――――――


柔らかな日差しの降り注ぐリビングの、柔らかなソファに座ってレシピ本を読んでいるスモーカーの膝の上に、ロジェはちんまりと収まってアイスをぱくついていた。本を読んでいる間はテレビを見てろと言われたが、ニュースがつまらないのでロジェはこっそり手を伸ばし、ソファに放ってあるリモコンを手に取ってNHKの教育番組に変える。
「ねぇねぇスモーカー、本屋であったパインみたいなおじちゃんだあれ?」
昼間の殺気漂う本屋でのやりとりを思い出し、ロジェはアイスを舐めながらスモーカーの顔を見上げる。嫌な話題だったのか、スモーカーの顔が忌々しげに歪んだ。
「ありゃ、“あの家”の連中の一人だ」
「あのいえ」
言われてロジェは思い出す。あの家とは、確か近所にある大きな家のことだ。ここの家の連中は危険だから近くに行ったりするなよ、といつになく厳しく言われたことを覚えている。
「昔からここいらで幅を利かせてる奴らでな。傘下の連中も大物揃いだから警察もおいそれと手が出せねェ」
「ふぅん」
「まァ、堅気にゃ手を出さねェし、公園までが行動範囲のお前には関係ないだろうがな。……くれぐれも勝手に遠くに行くんじゃねェぞ」
「しょうがないな、スモーカーがそこまでいうならしかたないよねー」
澄ました顔で言うロジェの頭を、スモーカーは丸めた本ではたく。ぽこっと可愛らしい音がたった。
「いたい」
「本気で言ってるんだ。危ないから絶対あの家に近づくな。連中とも関わるなよ?分かったな?」
「…うん」
スモーカーが真剣に言っていると悟り、流石にロジェも神妙な顔で頷く。


その誓いがすぐに破られてしまう事等、今の二人には知る由もなかった。