
お子さま行進曲 ロジェと!
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白い大きな扉をぐっと開くと、中から漏れ出すひんやりした空気がさぁっと顔に吹きつける。 そのままロジェがそっと中を覗くと、目の前にはバターの箱だの煮物の入ったタッパだのが整然と置かれていた。オレンジジュースのパックやクリームチーズ等、普段なら家主の目を盗んで勝手につまみ食べるそれらもゴロゴロ置かれていたが、生憎今日のお目当てはそれらではない。 扉の狭間に首を入れ、どこかなーと目当ての物をきょろきょろ探しながら、ロジェはすぐそこにあったラップの掛けられた漬物の皿を上の段に移し替える。すると、その奥の方には紙の皿に乗ったショートケーキが、まるで隠れるようにしてひっそりと置かれていた。 「わーい」 探し物を見つけ小声で喜びの声をあげ、ロジェはにまーっと笑ってそれに手を伸ばした。両手で皿の端を掴み、ずりずりと奥から慎重に引っ張り出す。紙の皿はすんなり手元に引き寄せられ、ロジェはにこにこしながらそれを持っていこうとする。 「てめェ何してるロジェ!!」 突然キッチンに響いた怒声に、びびくんっ!と小さな肩が大きく跳ねた。その拍子に手から紙皿が滑り落ちる。 「あっ、」 べしゃ。 一瞬の、沈黙。 「あ」 「…あ〜……」 無残に潰れて床に落ちたショートケーキに、ロジェは硬直の後に事態を理解してか肩を震わせ情けない声を上げる。 「……ふに…ぼくのケーキがぁぁ…」 綺麗に切り分けられていたケーキは、クリームは崩れイチゴはすっ飛びスポンジは潰れた悲惨な姿に変貌していた。 「…あー、こりゃだめだな、捨てろ」 へなへなと力なくしゃがみこんでうなだれる五歳児の背後からその有様を覗き込んだスモーカーは、少しばつの悪そうにしながら蜂蜜色の髪を慰める様に撫でた。1つ600円のショートケーキという、普段は口に出来ない高級品が床に食われる羽目になり、さぞこの子供には無念だろう。顔を見ると涙目になっている。 昨晩スモーカーが貰って帰ってきたこれに、普段はスーパーの値引きされたデザートしか食べられないロジェはそれはもう喜んでいた。おやつに食べるのを楽しみに待っていた筈だったが、どうやら我慢しきれなかったらしい。逃亡中に捕まった脱獄犯の如くうなだれている。 「ぼくのケーキ……ぼくのおやつ…」 「…諦めろ」 キッチンに来たらゴソゴソ冷蔵庫に顔を突っ込んでいるでかいネズミが居たから、勝手に冷蔵庫を漁っていた事を叱ってやるつもりだった。しかしこうまで落ち込まれるとそんな気にはなれない。本来悪いのはまだおやつの時間ではないのに勝手に手を付けようとしたこの子供であるのに、自分が声を掛けたことでこんな事態になったせいかじくじくと罪悪感が込み上げてくる。 ぐちゃぐちゃのケーキを皿の上に戻していくロジェの様子に、スモーカーは不審な目を向けた。片付けるのかと思ったが、それにしては、目が。獲物を狙う目をしている様、な。 まさかこいつは。 「あーん」 「やめろ!!!」 嫌な予感が的中し、ボロボロのケーキを犬食いしようと口を開けたロジェの手から慌てて紙皿を分捕った。はむ、と空気を食べて目を白黒させたロジェは、スモーカーをきっと見上げてその手の中のケーキだったものを取り返そうとする。 「おそうじしてあるからへいきだもん!たべる、それたべる!!」 「拾い食いはするなと言ってるだろうが!!腹壊すぞ!!」 「やだやだやだやだ!食べる!食べる!ケーキたべるもん!!」 「おい床が抜ける、やめろ」 ぶんぶん首を振り、びえーと泣き喚きながらどすんどすんとジャンプするロジェを抱え上げる。抱っこされながらやだやだとじたばた手足をばたつかせ、全く大人しくしない幼児をあやしながらスモーカーは疲れた溜め息を吐いた。 「お前が悪いだろうが、盗み食いしようとするからバチが当たったんだよ」 「ぼくわるくないもん、スモーカーがわるいんだもん!!うええぇぇえぇぇん、ケーキぃぃぃ!!」 普段の大人ぶった態度は何処へやら、ケーキ一つに癇癪を起こして泣き喚いている。普段なかなか食べさせてもらえない分、ケーキに対する執着心は深いらしい。 これは早々収まりそうにない、とスモーカーはぐすぐすと泣く幼児を床に下ろして座らせる。喚いて少しは気が晴れたのか、多少は落ち着いた様子ですんすんとしゃくりあげるロジェを呆れた様子で見下ろしながら、ズボンのポケットを探った。 財布を取り出してお札を一枚取り出すと、目を擦っているロジェに差し出す。 「…泣いてるところ悪いがな、ちょっとお使い頼まれろ」 目の前の千円札を潤んだ半眼で見て怒りに顔を歪めると、すぐにぷいっと顔を逸らせた。 「おつかいなんかしないもん!これからあったかい紅茶のんでおひるねするんだから!紅茶はミルクティーだからね、ちゃんとミルクでいれてよ、クリープなんかじゃごまかされないから!!」 「淹れてもらう癖にどんだけ上から目線だ。拗ねてないでいいから行ってこい」 フテ寝宣言をしつつキッチンから逃亡しようとする幼児の襟首を引っ張り、向かい合わせになる。姿勢を固定されロジェは思いきりぶすっとした顔になった。 自分がこんなに悲しんでいるのに、スモーカーときたら全く気遣ってくれない。 心を癒す暇さえ与えてくれないなんて、なんという鬼の所業か。そんなだから30過ぎになってもお嫁さんがこないんだ、とギリギリ歯噛みしながらスモーカーと目を合わさないようにする。 お使いに行ったらスーパーで店員さんにスモーカーの酷い仕打ちを訴えてやる。ロジェはそう心に決めた。 「………どこいくの」 「スパイダーズ・カフェだ」 店の名前を聞いてロジェはますます機嫌の悪い顔つきになる。 『スパイダーズ・カフェ』はこの辺りにあるテイクアウトOKのカフェだ。貰ったケーキには劣るだろうが、それなりに庶民的な値段でおいしい菓子を売っている。前にスモーカーの家に青い鳥とかいう背の高い男が来るとの事で、持て成しに出すお菓子を買いにお使いに遣られた事をロジェは覚えていた。 あそこのケーキも滅多に食べられない。以前はよく行っていたのに、何だかスモーカーと仲の悪い人と店で鉢合わせてからは行かなくなってしまったのだ。 苺がたっぷり乗った、ストロベリータルトが大好きだったのに。嫌な事を思い出してロジェはまた泣きそうになる。 「……なに買うのさ」 一人でお菓子食べようっての?と被害妄想に満ちた凶悪な視線を送るロジェをスルーし、その手に夏目漱石(旧札)を握らせる。 「あそこの店のミルククッキー一つ買ってこい」 「…?」 単品で売っているクッキー一つに千円は多い。普段のお使いなら、ロジェが余計なものを買わない様にスモーカーは必要最低限のお金しか持たせてくれない筈だ。 ぐし、と目を擦りながら千円札とスモーカーを交互に見つめ首を傾げるロジェの頭を、スモーカーはそっと撫でてやる。その手つきはぶっきらぼうだが優しい。 「釣りで好きなもん買っていいぞ」 「……」 視線を合わせ瞬く幼児は、なにやら固まっている。 そして漸く言葉の意味を理解したらしい。暫しの沈黙の後、機嫌が上向きになったらしく口元が綻んだ。 「…スモーカーありがとー!おれいにぼくのほっぺにちゅーしてくれてもいいよ!」 「言ってろ」 足に抱きついてすりすりと笑顔を擦り付けてくる幼児の現金さに、スモーカーは苦笑いを浮かべる。 「じゃあ行ってくるから!お茶いれてまっててね、ミルクティーだよ!」 「あァハイハイ、いつもの奴だろ?ったく、めんどくせぇガキだ」 バタバタと玄関に小走りで向かうロジェの台詞に、スモーカーは毒づきながら満更でもない様子で棚から小鍋を取り出す。 「ぬるいのやだよ!」 「…いいから行って来い」 戻ってきてドアから顔だけ出し念を押すロジェを、スモーカーは片手で追いやった。 ―――――――――― 人気のない住宅街は閑散としていて、静かな空気に気分も更に良くなる。道沿いにあるご近所の家々を眺めながら、ロジェはふんふんと鼻歌を歌った。その様子に、先程ぎゃーぎゃー泣き喚いていた名残は見られない。 「わーい、たるとタルト。ひさしぶり」 ケーキの箱を大事に抱えながらてくてくと道を歩く。店に行ったら苺タルトが一つ残っていたので迷わず購入し、他にもショートケーキやレアチーズケーキも買えた。どれもロジェの好物だ。 高級品のケーキを食べ損ねたのは返す返すも残念だったが、こうして久し振りにおいしいケーキが食べられるのだ。おまけに店員さんからチョコクッキーも貰えたし、ロジェはすっかりご機嫌だった。 幸せそうに家路を進みながら、まあスモーカーを許してあげてもいいよね!等と考えるロジェの進む先。 何かが上空から飛んできた。 「う?」 自分の方に飛んでくるそれが気になり、立ち止まってじっと見上げてみる。どうやらそれは何か四角い、小さな…。 どどどどどどど 「うおーーーーー!!」 「うぇ?なになになに?」 ロジェの視界の端、角を曲がってやってきた小さな子供にロジェは目を丸くする。 自分と同じくらいのその子は、どうやら落下物を追っているらしく上を見たまま物凄いスピードで突進してきた。そのあまりの勢いに、ロジェはひっと息を飲んで反射的に横に飛び退る。 「わっ、わわわっ!?」 しかし飛び退く時にバランスを崩し、転びかけながらロジェは咄嗟に大事な箱を守ろうと頭上に掲げた。 転んだら、ケーキが。 またおやつを台無しにするわけにはいかない、と何とか箱を死守しようとロジェは踏ん張る。しかし足は勝手にひょこひょこ動き、そのままどんどん後ろに下がり、そして。 ばぢゃっ 「きゃっちいいいぃいぃ!!」 ずざあああっ、と飛び込んできた子供が勢いよくスライディングを決め、落下物が子供の伸ばした手の中に納まる。 見るとそれはただの板チョコだった。落下の速度から考えて落ちていれば粉々になっていただろうが、無事に受け止めたことで綺麗な長方形を保っている。 「わーい、チョコチョコ!のおやつ!!」 「…………」 「ん?どした?」 板チョコを掲げてぴょんぴょん跳ねて喜びを表現する子供が、ふとロジェの存在に気づいてきょとんと首を傾げる。ケーキの箱を大事に頭上に掲げ、片足を溝に突っこんだロジェがいやぁな顔でこちらを睨んでいた。 「なにやってんの?」 「……べつに」 溝に嵌まったロジェを不思議そうに見つめてくる相手に、ロジェは視線を逸らして答えた。 溝の水は汚れてはいるが浅く、片方の靴が濡れてしまった程度だったのでロジェはすぐに足を引き抜く。黒く染まったスニーカーでアスファルトを踏むと、湿った嫌な音と不快感が足に走った。 早くおうちに帰って、綺麗にしよう。ロジェは眉間に皺を寄せながら、ぽかんとこちらを見る見知らぬ子供に手を振る。 「ばいばい」 我侭放題に甘やかされてはいるがきちんと躾けられたロジェは、よく知らない相手に自分をさらけ出す事はしない。初対面の相手に、それこそスモーカー相手の様にぎゃーぎゃー喚く事は出来ずにつんとやり過ごそうとするその澄ました様子に、は丸い目をぱちぱち瞬いた。 「あしよごれてる」 「…だから、おうちかえってきれいにするの」 「わかった、いくぞ!」 「へ?」 何を思ったかは背中を向けたロジェの片手をむんずと掴み、そのまま引っ張って自分の来た方向へ導こうとする。勢いよくぐいぐい引っ張られて転びかけながら、ロジェは思わぬ展開に慌てて抵抗するがの力は予想外に強く敵わない。 「そっちぼくのおうちじゃないよ!」 「おうちかえってきれいにするぞ!はやく!」 「だから…」 ぐいぐいと引っ張られ、ケーキを抱えたロジェは乱暴に振りほどく事も出来ずそのまま引きずられていく。どうやら、この子の『おうち』に連れていかれるらしい。 どうしよう、スモーカーは怒るだろうか。不安に駆られるロジェを構うことなくは道を進んでいく。 「…ん?」 「?」 急に何かに気づいたのか、ふんふんと犬の様に鼻を動かしてきょろきょろするにロジェは首を傾げた。やがて振り向いたその視線が、ロジェの持つケーキの箱に吸い寄せられる。 「あまいにおいする」 「!だめだよ、ぼくのだもん!きみはそのチョコたべてりゃいいでしょ!?」 おやつの存在を嗅ぎ付けたらしい子供に、ロジェの肩がびくっと跳ねる。ケーキの箱をじっと見るから隠すように箱を遠ざけ、きっと睨んで威嚇した。意外に相手は素直に元気よく返事をする。 「わかった!………じゅるり」 「あげないったら!」 ロジェは獲物を狙う目をした子供から大事な箱を守ろうと慌てて抱え込んだ。 ―――――――――― そもそもの事の起こりは、ほんの少し前の事だった。 「マルコーあそぼー」 「おう、遊ぶかい。じゃあそこの障子紙取って来いよい」 「まかせろー!」 縁側に座るマルコは抱えている障子戸の骨組みにペタペタと糊を付けながら、背中に貼りつく幼児に目も向けず指示した。すぐににこにこ顔で持ってきたの頭を撫でてやって、障子戸の貼り替えを黙々と行っていく。 「マルコたいへんだな!」 「おーおー、大変だよい」 「もびがー」 腹立ち紛れに頬を引っ張ってやるとぶにぶにしていたので殊の外面白く、弾力のある頬を引っ張ってやると小さな口から変な声が漏れた。 遊び盛りの子供は、本当に加減を知らない。今朝も追いかけっこで障子戸を『つい』破ってしまった。 バリッという破壊音で目が覚め、自分の部屋の障子がの形に破られているのを見てマルコは脱力しそのまま布団に沈んだ。しかし幾ら現実から逃避しようが吹きつける隙間風は一向に弱まらない。これからもっと寒くなるという時期に、部屋に穴の開いた状態では無事に冬を越せそうになかった。ただでさえマルコの部屋は縁側のすぐ傍にある。 仕方ないとマルコは障子の修理を始めたが、そもそもの原因であるはそんな彼の苦労も知らず楽しげにはしゃぎ、いつものように遊んでもらおうと彼にベタベタとすり寄ってくる。 「マルコーマルコー」 あそべあそべと鳴き声の様に繰り返すに、縁側に綺麗に紙を貼り替えた障子戸を立て掛けちらりと後ろを振り返った。視線が合い、小さな幼児はにこにこと嬉しそうに微笑む。 「…茶でも飲むかよい、」 「のむ!」 「よし、じゃあ部屋で大人しく待ってろい」 台所に行こうと立ち上がるマルコの片足に、がぴょんと飛びついた。 「マルコといっしょがいい」 「……」 懐かれるのは嬉しいが、始終傍にくっ付いていられるのも、まァ、あれだ。暫く面倒を見ていてもらおうと、マルコはが懐いている某リーゼントを呼ぶ。 「おいサッチ、おれの部屋に来いよい!!」 「サッチはげーせんいってくるって!!におみやげくれるっていった!!たのしみ!!」 「……そういや、昼から姿見てねェな」 逃げたかあの野郎、とマルコは顎髭を撫でた。遊びに行ったなら、帰りは夜中になる恐れがある。もしそのついでに健全でない遊びをするなら、帰りは明日の可能性もあった。 「サッチいない!マルコーマルコー」 「うるせぇよい」 片足にしがみ付く幼児をくっつけたまま、マルコは部屋に入って用のおやつ箱をゴソゴソと漁る。 茶が入るまで、少し遠くに行ってもらおう。そう決めたマルコはおやつ箱から板チョコを一つ取り出すと、背中によじ登ってきていたの鼻先に突き付ける。 「チョコ!」 デロリと口の端からよだれを垂らすに、マルコの口に笑みが浮かぶ。チョロイ。 「お前のおやつだよい」 「のおやつ!」 「おっと」 手を伸ばすからお菓子を遠ざけ、ちらつかせながらそろそろと足を運び、庭に出る。の全意識が板チョコに集中しているのを確認すると、マルコは手に持った板チョコを遠くへ思いきり放り投げた。 「わー!!」 道の向こうへ一直線に飛んでいくチョコレートを、は追いかけ弾丸の様に一気に飛び出す。すぐに小さな影は石垣の向こうに消えた。 「まてー!ちょこー!!」 「…これでちったぁ静かになるよい」 額の汗を拭ってふぅと一息吐くと、台所に向かうべくくるりと家の中へと入っていく。 一人で家を出たのが二人になって帰ってきたのは、それから十数分後の事だった。 ← □ → |