お子さま行進曲 ロジェと!



遅い。
苛立ちながらテーブルをトントンと指で叩く。
不機嫌そうなスモーカーの向かいの席にはドスコイパンダ模様の小さなマグが置かれている。先程までそれからは湯気がほこほこと立っていたが、今はもう冷めてしまっているのか目を凝らしても蒸気は確認出来なかった。
葉巻を灰皿に押し付けつつ、スモーカーは壁掛け時計を見る。時計の針は2時45分を指していた。
もう出かけてから1時間になるのに、まだ玄関はロジェが出て行った時の静けさに包まれたままでいる。子供の足とはいえ往復でそうは掛からない距離にあるから、もうそろそろ帰ってきてもいい時間だというのに、あのチビはまだ帰ってこない。
どこか、例えば公園だとかに寄り道しているというのも考え難い。家に帰れば好きなケーキと紅茶にありつけると分かっているのだから、まっすぐ買い物してまっすぐ帰ってくる筈だ。

迎えに行くか。

そう決めて椅子から立ち上がると、まるでそれを待っていたかのようなタイミングで電話が鳴った。


――――――――――


「…うん、あのね、ケーキ落としそうになってね、それでね」
ロジェには少し重い黒電話の受話器を両手で持ちながら、一生懸命事情を説明していく。
知らない子と遭遇して、誤って溝に片足を突っ込んでしまった事。その子の家で足を洗わせてもらって、汚れた靴も今洗ってもらっている事。
「だからね、おくつかわいたら帰るからね」
『…そうか、ちゃんと暗くなる前に帰れよ』
電話の向こうの彼は、特におかしな様子はない。
「ごめんねスモーカー、でもぼくのミルクティー飲んだらひどいよ」
『飲まねェよ……まァ、そこの家に迷惑掛けたりするなよ』
「ぼくいいこだもん、そんなことしないよ」
ロジェが密かにほっとして電話を切ろうとすると、スモーカーから制止の声が上がった。
『あァロジェ、切る前にそこの家の奴と替われ』
「!」
『保護者としてちゃんと話を…』

かちゃん。

「…ふー」
皆まで言わせず電話を切り、ロジェはため息を吐く。
途中で無理やり話を終わらせてしまったから、帰ったらきっと怒られるだろう。でも、連れて行かれた『家』が何処かをスモーカーが知れば。きっとそれよりももっと叱られるに決まっている。
「おでんわありがとう」
「気にすんな」
ぺこりと頭を下げるロジェの髪をいいこいいこと撫でながら、傍にいた女性の様な装いの青年が微笑んだ。


フローリングではない、板張りの床。襖に障子。古い木のにおい。
そこはロジェにとっては馴染みのない、和の空気を醸し出す空間。
廊下をぺたぺた裸足で歩きながら、きょろきょろ辺りを見回す。忙しないロジェのその小動物の様な様子に連れ立って歩く青年は密かに笑った。


見知らぬ子供に連れて行かれた先は、スモーカーから「行ってはいけない」と教えられていた場所だった。見覚えのある門構えに目を剥いたロジェは慌てて抵抗を再開したが逃れられず、ずるずると家の中に引きずりこまれてしまった。
迎えに出た見覚えのある男はロジェを見てびっくりしていたが、事情を聞くとすぐに謝ってくれた。その後丁寧に足を洗ってもらい、靴も洗って貰った。まめまめしく面倒をみてくれる彼に本屋でスモーカーと対峙していた時の剣呑な雰囲気は微塵もなく、ロジェはその様子に首を傾げる。

そんなにこわくてひどそうな人っぽくないなぁ。

そう思ったが、けれどスモーカーの言いつけはいつも正しい。今は優しいけれど、きっと怒ったら怖いのかもしれない。
それはひょっとしたら、今手を引いていてくれるこの人だって。
顔を上げると、男の人と目が合った。にこっと笑うと、きつめの眦を緩めて微笑み返してくれる。
綺麗にお化粧もして、顔は女の人に見えるけれどその手は父やスモーカーと同じ様に大きくて、例えばヒナさんやたしぎちゃんみたいな女の人のものとは違うと分かる。
「なあお前、の友達か?」
「?小鳥?」
鸚鵡返しに返すロジェに、着物の青年は呆れ顔になった。
「なんだ、名乗ってもいないのか…。しょうがないなあいつは。ま、と仲良くしてやってくれ」
おれはイゾウってんだ、とにこにこしながらほっぺたをつついてくる青年にロジェはぱちぱち瞬く。
「ぼくはロジェです、よろしくおねがいします」
スキンシップにちょっと困惑しながら、ロジェはぺこりとお辞儀する。名乗られたらきちんと挨拶を返さなければいけない。
「はは、何だ固いな。さ、の部屋についた。くつろいでな」
イゾウは目の前の襖をさっと開いて、ロジェを招き入れる。入る前にそっと覗き込むと、そこには本屋で会った男とさっきの子供がいた。

「ん?あァ、来たかい」

開かれた襖から首だけ出しているロジェを見て、男は持っていたタオルの様なものをテーブルに置く。傍にばらばら散らばっている物を纏めて大きな箱に入れていく彼の行動に、ロジェは見覚えがあった。ロジェの洋服のちぎれたボタンを直してくれる時に、スモーカーは同じ様な事をする。
「マルコてめェ、お客さん放っておいて何してんだ」
「だからお前に頼んだろい?今洗濯中だから、それまで布巾繕ってたんだよい」
もてつだいしたんだよ」
「そうかそうか、偉いな」
何を手伝ったのか、針山を指さして言うの頭をイゾウは撫でてやる。猫の様に目を細めるを両手で抱え上げると、様子を窺っていたロジェの目の前に下した。
「ほら、ちゃんと自己紹介しな」
「おー!だよっ!!びっくりさせてごめんな!!」
頭上からそう言われては元気よく挨拶をしてくる。
おやつがお預けになったロジェは一瞬じろっとその顔を見て、にこっと愛らしく微笑んだ。
「ぼくはロジェだよ、よろしくねくん」
「…?」
部屋から出ていきかけていたイゾウは、ロジェの言葉を聞いて少し首を傾げたが、結局そのまま出て行った。
「ロジェか!ロジェ、ロジェな!」
「ちゃんとおなまえ言えるもん、ぼくいいこだから」
ちょっと気取った子供と無邪気に笑う子供が戯れる様子を、裁縫道具を片付けたマルコは微笑ましげに見やる。

出会いは事故によるものだが、には同年代の知り合いがいないからこれをきっかけに友達になるかもしれない。じゃれあう二人を脳裏に描いてマルコは一人うんうんと頷いた。

「すまねェな、洗い終わったらすぐ乾かしてやっから。それまで二人で遊んで待ってろよい」
「パインのおじちゃんありがとう」
「……おれはマルコってんだよい」
パインのおじちゃん等という呼びかけは甚だ不名誉なのだろう、マルコが顔を顰めて訂正する。マルコが子供からそんな呼ばれ方をしている等サッチ辺りが聞いていればさぞ大笑いしただろうが、生憎彼は本日不在だ。命拾いしたといえる。

「ほれ、靴が乾くまでこれでも食ってな」

戻ってきたイゾウが何処からか持ってきたミカンの籠が、どんとちゃぶ台の上に置かれる。つやつやと表面が照り光りおいしそうなミカンの山に、早速が手を伸ばすがその手がぺしっとはたかれた。
「いたい」
「お客さんが先だろうが、まったく」
おまけにこつんと頭を叩き、イゾウはミカンを一つ取るとロジェに手渡す。
「ありがと、イゾウのお兄ちゃん」
笑って受け取り、ふとそこでぶーとふて腐れていると視線が合った。
「…じゃ、はんぶんこしよっか、くん」
「いいの!?そうしよ!」
にこっと笑って提案してくるロジェにはぱちぱちと瞬きして、満面の笑みを返した。
がやるよ!と元気に言ってミカンを受け取り器用に皮をむいていくと、にこにこしながらそれを覗き込むロジェ。その和やかな光景にマルコとイゾウは微笑ましい思いを抱く。
が。
「はい、むけた」
てん、とはテーブルの上にミカンの中身と皮を置く。
「じゃあこれ、はんぶんこね」

ロジェは綺麗にむけた中身をさっと奪い取ると、皮をぺいっとの方へ投げた。

「……?…?」
の方を見もせずに、もぎゅもぎゅとミカンの房を一つずつ取って食べるロジェの隣で、は若干腑に落ちなそうな表情でミカンの皮をかじっている。哀れを催す光景だった。
「…おい、ロジェちゃん」
「はんぶんこだもん」
平然とミカンを食べるロジェに、呆気に取られて一連の流れを見ていたマルコとイゾウは慌ててからミカンの皮を取り上げる。
「…あのな、怒る気持ちは分かるが」
「ぼくおこってなんかないってば」
困った様子のマルコに窘められ、ロジェはぷいっと顔を背ける。
つんけんしているロジェの様子に、イゾウはやれやれと肩を竦めた。まったく子供は意固地になると厄介だ。
まずはこの子の機嫌が治らないことには、二人が友達になる所ではなさそうだ。
「…仕方ねェな」
つんとしているロジェとしゃがみ込んで説得にあたっているマルコ、ロジェに興味を抱いているらしく服の裾をにこにこ顔で引っ張っているを見比べて、イゾウはそそくさと部屋から出て行く。は急にいなくなった彼に気づき不思議そうに首を傾げるが、すぐにまたロジェに構い始めた。
「なーなー、遊ぼー」
「ひっぱらないでよ」
つれなく言われるが、は自分以外の小さな子供に興味津々だった。こっちを見ないロジェに構わずくいくいとパーカーを引っ張り続ける。
「ロジェー、ロジェー」
「…くん、ほーらおみかんだよー」
「わーい!」
鬱陶しげにを見やっていたロジェが、新しく手に取ったミカンをコロコロと転がすと、はロジェから手を離してそれを喜んで追いかけていく。
「…………」
軽くあしらわれているを見て、マルコは額を抑えた。だめだ、分かってはいたがバカだ。

「…何ここで食ってるんだ。邪魔だから部屋に入れ」
「もぎゅもぎゅ」

また何処からか戻ってきたイゾウが、廊下でミカンを食べだしていたの襟首を掴んでぽいっと部屋に投げ入れる。ぽふっと座布団に落ちたはひたすらミカンを食べていた。
「…何しに行ってたんだよい、お前」
「何でそんな疲れてんだマルコ…いや、これをな」
そう言ってイゾウが袂から取り出したのは、白のレースの付いた可愛らしい赤いリボン。イゾウの持つ和の雰囲気にそぐわぬそれに、その場の全員が注目する。
「そんなの持ってたのかよい」
「ひらひらだー」
「前ちょっとな。なあ、これどうだ」
「うん、かわいいねー」
ひらひら揺れるリボンに何故か食いつこうとするを避けながら、可愛らしいリボンに瞳を輝かせるロジェの反応を窺う。どうやら気に入ったらしい。
「じゃ、付けてやるから大人しくしてな」
「え!?いいの?くれるの?」
突然の申し出にロジェはびっくりしてイゾウを見上げる。
と遊んでくれてるから、その礼にな。やるから貰ってくれ」
イゾウは笑って一方的に言い放つと、手早くロジェの頭にリボンをきゅっと結んだ。
「ふぇ、え」
「ほーら、かわいい」
戸惑った様子のロジェに、イゾウは手鏡を差し出す。後ろでその様子を見ていたマルコは成程と頷いた。
困惑と期待の色に染まった瞳が、恐る恐ると鏡を覗き込む。
「わー……イゾウのお兄ちゃん、ありがとー!」
可憐なリボンはロジェの自慢の蜂蜜色の髪によく映えていた。悦に入りながらロジェはイゾウを見上げて礼を言う。
「うん、やっぱ女の子はきちんとかわいくしてないとな」
「ぼくかわいいもん、ヒナさんもほめてくれるもん」
自信ありげな笑顔で胸を張るロジェに、イゾウは思わず笑ってしまった。
「はは、そうだな。でもリボン付けたらもっと可愛くなっただろ?」
「うー」
そう言われて、ロジェは改めて鏡の中の自分を覗き込む。
ヒナさんも黄猿のおじいちゃんも、会うとかわいいかわいいと褒めてくれるけれど、スモーカーはあまり褒めてくれない。大人しくいいこにしてりゃかわいく見える、と言われたけれど多分それは褒められたわけではないと思う。
かわいいリボンつけたから、スモーカーもぼくをかわいいってほめてくれるかな。そんな期待を込めて、ロジェはリボンを直しているイゾウを見上げた。
「スモーカーもほめてくれるよね、かわいいって言ってくれるよね?」
「あァ、きっとな」
「えへへ」
よく分からないながらに空気を読んだイゾウは即答する。その答えにほのかに頬を染めながら、ロジェは鏡に映る自分を見て微笑んだ。ひらひら揺れる真新しいリボンは、見ているだけでロジェの目を楽しませてくれる。
上機嫌で鏡を見ながら花を散らすロジェをにこにこと見下ろしていたイゾウが、不意に振り返ってを見下ろした。
「よし、次はお前だぞ」
「むぎむぐ」
「こら、大人しくしてろい」
マルコがを押さえつけると、イゾウは碌に梳かされていないの髪を手早く纏め直し、持ってきたトンボ玉の付いた髪ゴムで前髪を束ねいつもの髪型に仕上げる。緑の斑のトンボ玉がきらりと煌めき、まぁまぁかと己の仕事を評価する。
「お前も見習ってちゃんとしてろよい」
「うー」
落ち着かなげに縛った場所を触っているの頬を引っ張り、いつもの説教をする。改めて思ったが、全くこいつには自分が女の子であるという自覚が足りない。
「きちんとすれば、お前もそれなりになれるんだから」
「だってめんどい」
「ったく…」
「??」
3人のやり取りを、鏡から目を離したロジェは何故かおかしなものを見る目で見ていた。